祭りの移り変わり その9

祭好4人衆

2008年05月14日 21:33

共盛社Mです。

それでは本日より舞児還し(送り)の移り変わりを紹介します。

昭和初期頃?より始まった舞の奉納ですが、

では、舞児還しがどのように行われていたのかは、これも残念ながら記録がありません。

伝え聞いた話を総合すると。

初期の頃の奉納の舞は人数に定員があり、その人数だけが舞を奉納していたようです。

又、初期の頃は神社から若衆が舞児さんを担ぎそのまま自宅(仮宿)まで送っていった

という話も聞きます。いずれにしても確認できなかったのですが、そんな話を聞いたことがあります。

これからは昭和40年代以降を御紹介させていただきます。





以前は仮宿(かりやど)と言われる制度?がありました。

これは三倉の街道沿いの家でなおかつ三倉及び一部の大府川以外の家は

その家の親戚や友人知人の家を(三倉地内)仮宿としその仮宿に舞児さんを還されていました。

つまり 黒田 中村 大府川の舞児さんは三倉地内の仮宿に還されていたのです。

もちろん 中村や大府川の皆さんも舞の奉納は行われていました。

文章がへたでうまく説明できませんが わかりやすく例えると

舞の奉納を終えた舞児さんは、共盛社 昭運社 によって 三倉地内の仮宿および自宅に

二社そろって順番に還されていました。この舞児還しは稲盛社、西宮社の二社が参加しても

続けられ昭和63年まで行われていました。 



この写真は昭和53年?頃の写真です。高欄まで舞児さんが乗っているのがわかりますか?

この話は次回に続きます。

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