許禰神社例祭 歴史その2 舞の奉納編
共盛社Mです。
それでは 久しぶりに 歴史編その2 舞の奉納編です。
いろいろ調べましたが およその流れがわかりましたので
仮説を含めて 説明いたします。
舞の奉納の現在の記録は 昭和27年以降の記録は
現在 神社に保管されています。
それ以前の事も少しわかりました。
大正4年に 許禰神社が 現在地に 転移したのですが
その当時の記録によると 大正11年~13年に作られた 資料に
乙女舞の奉納と記されています。
乙女舞の写真がこれです。
資料の内容が この画像です。
ここからが 仮説なのですが おそらく 大正4年にこの地に祀られてすぐに
例祭での舞の奉納が 始まったと 思います。
では、 乙女の舞~ 浦安の舞、豊栄の舞に 変わった次期の話ですが
浦安の舞は 昭和15年に作られた舞ですので
いろいろな人から 聞いた話を総合すると
記録が残っている 昭和27年 頃から 浦安の舞 豊栄の舞を
奉納するように なったとおもいます。
では それ以前がどうだったか? と言うと 現在調査中ですが
何分 古いことなので 今のところなにもわかりません。
わかり次第UPしますね。
では 舞の奉納にかかわる 許禰神社例祭の 舞児迎え、還し(送り)が
どのように行われていたのかも 現在調査中ですが
今分かっているのは
この写真 昭和10年代の写真ですが 乙女の舞にて 舞児迎えが行われています。
今は ここまでです。 それでは、次回は 歴史編 舞児迎え 還し(送り)にて
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