許禰神社例祭 歴史編 その13
共盛社Mです。
引き続き 歴史編です。
書物があまり残っていない 三倉の祭りです。
数少ない状況証拠と 言い伝えや話の中での言葉などで
共盛社Mが 自分の解釈と一部仮説で お送りします
事実と違う 自分はこう聞いたなど ございましたら
速攻で訂正させていただきますんで お気軽に コメント願います。
それでは 前回の続きを 舞の奉納は以前に御紹介したとうりですが、
では 舞児迎えや舞児送りはと言うと まずは 舞児宿からの説明を・・・
以前には 舞児宿がありました。この舞児宿は当時三倉(三倉町内会)の
神社担当組(隣組)の組長宅が主な舞児宿として使用されました。
舞児宿の主な役割は舞児さんの準備が中心となります。
祭典当日 舞児さんは舞児宿へ向かいます。
舞児宿では お風呂から 髪結い 化粧の準備が行われ
舞児さんは 舞児宿で支度を済ませました。
支度を済ませた舞児さんを 神社関係者が迎えに来ます。
これが 舞児迎えの始まりです。
さて この舞児迎え いつからこの形になったのか わかりません。
さまざまな聞いた話を総合すると 最初この舞児迎えは 舞児宿から神社まで
神社関係者や 舞児関係者が 舞児宿~神社まで行列を作り 行ったようです。
その後 屋台が後ろに付き 出発地も年ごとに変更されたようですが
詳しい年代は わかりません
少なくとも 自分が物心がついた時には おおむねこの形でした。
関連記事