2008年05月02日
神社の紹介 その5
共盛社Mです。
それでは、前回紹介しました 延喜式についてです。
この件でネットや図書館などでしらべたのですが、
まずこの時代の地図があればこの地区が〇〇郡であるかわかると思い調べましたが、
この時代の地図はありませんでした。 江戸時代などでは 山名郡 (現在の袋井市など) 周知郡 旧周智郡(森、春野、水窪など)
では三倉はというと 豊田郡なのである。 (延喜式の時代は豊田郡はありませんでした)
地図のない時代まして 平安時代 この遠江は 京の都からはなれ そうとう田舎だったと思われます。
又、道路整備や堤防整備もされてない時代 地形も時とともに変わっていったと推測できます。
土地の地名はその時々の領主になどにより変化していったと推測できます。
ですのでこの地が当時 山名郡だったのか 周知郡だったのか はたまたそのほかの郡だったのか
調べれば調べる程、地名ではわかりませんでした。 延喜式で
ネットなどで調べていただくとすぐにわかるのですが、袋井市 木原に 許禰(こね)神社があります。

こちらも旧郷社として祀られています。(正直こちらの神社が延喜式の神社ではないかと最初思いました)
延喜式に載っているいる神社は、現在では なくなった神社 名前を変えた神社などもります。
又、複数にわかれた神社もたくさんあります。
平安時代~明治まで この空白の期間を説明できるものは残念ながら独学では解明できませんでした。
ただ事実として明治時代に許禰(きね)神社が延喜式の神社と認められたこと。
(袋井市木原の許禰(こね)神社も延喜式の神社といわれています。)
延喜式の神社の1神社が 現在複数の神社として存在していること。
地名など調べれば、調べるほど 否定できなくなること。
と、この事実を紹介し あとは歴史の謎といううことで (タイムマシーンでもできたら筆者に聞いてみましょう)
文才がなく うまく説明できないことをお詫びし、最後まで読んでいただいたことを感謝します。
次回からは、祭典の歴史(そんなに昔のことではありませんが)を紹介します。
それでは、前回紹介しました 延喜式についてです。
この件でネットや図書館などでしらべたのですが、
まずこの時代の地図があればこの地区が〇〇郡であるかわかると思い調べましたが、
この時代の地図はありませんでした。 江戸時代などでは 山名郡 (現在の袋井市など) 周知郡 旧周智郡(森、春野、水窪など)
では三倉はというと 豊田郡なのである。 (延喜式の時代は豊田郡はありませんでした)
地図のない時代まして 平安時代 この遠江は 京の都からはなれ そうとう田舎だったと思われます。
又、道路整備や堤防整備もされてない時代 地形も時とともに変わっていったと推測できます。
土地の地名はその時々の領主になどにより変化していったと推測できます。
ですのでこの地が当時 山名郡だったのか 周知郡だったのか はたまたそのほかの郡だったのか
調べれば調べる程、地名ではわかりませんでした。 延喜式で
ネットなどで調べていただくとすぐにわかるのですが、袋井市 木原に 許禰(こね)神社があります。

こちらも旧郷社として祀られています。(正直こちらの神社が延喜式の神社ではないかと最初思いました)
延喜式に載っているいる神社は、現在では なくなった神社 名前を変えた神社などもります。
又、複数にわかれた神社もたくさんあります。
平安時代~明治まで この空白の期間を説明できるものは残念ながら独学では解明できませんでした。
ただ事実として明治時代に許禰(きね)神社が延喜式の神社と認められたこと。
(袋井市木原の許禰(こね)神社も延喜式の神社といわれています。)
延喜式の神社の1神社が 現在複数の神社として存在していること。
地名など調べれば、調べるほど 否定できなくなること。
と、この事実を紹介し あとは歴史の謎といううことで (タイムマシーンでもできたら筆者に聞いてみましょう)
文才がなく うまく説明できないことをお詫びし、最後まで読んでいただいたことを感謝します。
次回からは、祭典の歴史(そんなに昔のことではありませんが)を紹介します。
Posted by 祭好4人衆 at 22:21│Comments(0)
│許禰神社